TOSSアンバランス福島 野崎 史雄

 耳が聞こえない両親を持って,経験したこと、考えたことの作文です。
 私の担任している6年生の児童が、市で開催された「私の主張」で,以下の作文を発表し、最優秀賞を受賞しました。

   私の両親
                 A子
「○・○・○・○・○・○(自分の名前)」
 これは私が最初に覚えた手話です。
 私の両親は、二人とも耳が聞こえません。父は、小学校五年生のとき、熱が出て耳が聞こえなくなりました。母は、生まれたときから耳が聞こえませんでした。  
 両親が結婚して、兄と姉、そして私が生まれました。三人とも耳はしっかり聞こえます。
 私が小学校に入学すると、いろいろな人が両親のことをからかうようになりました。

「A子さんのお母さん、黙って手を動かしてて、変。」
「何かダサい。」
「どうして耳が聞こえないの。」
 それまで仲良くしていた友達にも変な目で見られたり、ひどく悪口を言われたりするようになりました。
 私は、つらくて何も言い返せず、学校を休んだことがあります。          
 そんなとき、父と母は、

「人が言ったことなんて気にしなくていいからね。私たちは、全然気にしてないよ。A子は、先生の話をちゃんと聞いて勉強をがんばるんだよ。」
といつも手話で励ましてくれました。
 父は、仏壇を作る仕事をしています。毎日休まずにまじめに仕事に出かけます。帰ってくると、私と楽しく遊んでくれます。私は、ふざけて父にいたずらをすることもあります。
 母は、調理、そうじ、洗濯、家のことはすべて自分でやります。私は家に帰ると、母の手伝いをしながら学校であったことの話をします。授業参観の時には、学校に来ていつも私の姿を見てくれます。

 ハンデを持っていても、気にしないで精一杯がんばっている両親の姿を見ているうちに、今まで「いやだ」「はずかしい」と思ってたことが両親に対して悪かったと感じるようになりました。それから、自分も一生懸命に取り組み、友達も何も言ってこなくなりました。
 初めて手話を覚えたのは、三歳のときです。姉が見本を示してくれました。

「○・○・○・○・○・○」と、言いながら名前を手話で教えてくれたのを今でも覚えています。その後に、母が手話の本を二冊買ってくれました。それから覚えた手話を使ってどんどん両親と話すようになりました。自分の言いたいことが伝わり、相手の気持ちもわかってくるので、とてもうれしかったです。
 小学校四年生のとき、車が近づいたのが聞こえなくて母が交通事故にあいました。でも学校にいた私のところには連絡が来ません。家に帰ったら、母の友達がいて、そこで初めて聞きました。その友達も耳が聞こえません。「耳が聞こえない」「話ができない」ということは、何て不便なんだろうと強く感じました。
 このときです。(私が覚えた手話でも、だれか困っている人を助けてあげることができるかもしれない。)と思ったのは。耳が聞こえず、困っている人はまだまだたくさんいるはずです。
 それから、私は少しずつ家族以外の人とも手話で話すようになりました。まだまだ恥ずかしくて進んでできないけれど、私の手話が通じてにっこり笑ってもらえると、とてもうれしくなります。

 両親の耳が聞こえないために覚えた手話ですが、私はこれからボランティアで生かすことができたらすてきだなと考えています。母にこのことを伝えたら、すごく喜んでくれました。
 私の両親は、「まじめに努力すればいつかみんなが認めてくれること」を私に教えてくれました。いつもだれよりも私のことをわかってくれます。 
「お父さん、お母さん、どうもありがとう。」

の作文を使った授業

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